2013年09月17日

情報の紛失と、情報を保持するという事の重要性について

以下、「NOT FOUND」を読んでの感想をつれづれと。

突然、昔どっかの2chまとめサイトで読んだ『甘い玉子焼き』の話を読み返したくなったんだ。

で、ググったわけ。『玉子焼き 2ch いい話』とかで。

そしたら、見つからないの。

いや、正確に言うと、最初の部分はすぐに見つかった。
http://1yoshi.zero-city.com/html/imototamago.htm

でも完結編がね、どうしても見つからない。

でね、この件に限らず思うのは、インターネットって便利だけど、不便だなぁって。

昔のニュースが読めなくなってるのは仕方ないとしても(残ってたらいいのになぁ、とは思うけど)
昨日まで見れたものが、次の日にはなくなってたりする。

『続きは有料会員の方のみ閲覧できます』ってなってたりするところも多い。

はてブで特定のタグを人気順に並び替えて順に見ていこうとすると、見れないサイトの数に愕然とする。

そりゃ、仕組み上、どうにもならない部分もあったり 有料会員云々については、そうやって小銭を稼いでるんだろうし、仕方ないのかもしれないけど、 もうちょっとなんとかなればいいんじゃないかなぁ、と単純に思うんだ。

はてブにしても、見れないサイトのコメントだけ残っててもしょうがないじゃん。

逆にそういうのを結果から除外できるようになれば、とも思うけど、それじゃ本末転倒だしなぁ。

そうやって、跡地だけが残って、必要な情報が埋もれていく。

と、この増田は「web上の情報の紛失しやすさ」について嘆いている訳だけれど、これって、実は、インターネット登場以前からそうだったんだよね。webの情報が無くなりやすいのではなく、情報というものはそもそも紛失しやすいのだという話。

例えば、音楽CD。自分はよくAmazonのウィッシュリストに、気に入った曲のCDを「何時か買おう」と追加するんだけれども、大体そのまま忘れ去ってしまう。偶にウィッシュリストを見直している時に、それに気づく。そういうものは大抵、既に販売終了していて、中古品のみか、中古品さえ無いかのどちらかになっている。大抵は後者。

月刊誌、週刊誌となればもっと酷いだろう。最近の例で言えば、今話題のブラウザゲーム「艦隊これくしょん」の特集が組まれ、アッという間に売り切れてしまったと話題の、雑誌コンプティークの2013年10月号。これを1年後に手に入れようとしても困難だろう。5年後には、宝くじで1等当てるのと同じか、それより高い難易度となっていても不思議には思わない。例え、どれだけの量が売られようとも。

こういった物も、「情報の紛失」の例だ。情報の媒体である書籍が、ディスクが流通しなくなれば、二度とその情報を入手する事は出来なくなる。

それを防ぐにはどうしたらいいかというと、自分で「保持」しておくしか無いのではないだろうか。

その情報が記された書籍を買う、ディスクを買う、デジタルデータならば手元の記憶媒体にコピーする……そして、その媒体を自己の責任において大切に保管するしかない。

web上に掲載された情報は、貴方が保持しているという訳ではない。あくまで、公共の場所に公開され「誰でも見に来る事が出来る」というだけの話なのだ。公開が終了されれば、或いは公開されている場所自体が無くなれば、見る事は出来なくなる。「自らが保持していない情報」という意味では、買っていない雑誌やディスクと何ら変わらない。

インターネット上かどうかなんて関係ない。流通しなくなった情報を得る事が難しいのは、今も昔も変わらないのである。

情報の取り回しについて言えば、むしろ、今は昔より良くなった方だ。インターネットの発達で、情報が流通しやすくなった。人々は「今まで知らなかった情報」を得やすくなったし、それを周知する事だって、以前より簡単に且つ効果的に出来るようになったのだから。

増田

はてな匿名ダイアリーに書きこんだ人の事を表すスラング。

匿名ダイアリー→アノニマスダイアリー→アノニ「マスダ」イアリー→マスダ→増田

ラベル:Information web
posted by 天井冴太 at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | IT的つれづれ | 更新情報をチェックする
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