「情報アクセシビリティとユニバーサルデザイン」という本を読んだ。この本はそのタイトルの通り、情報アクセシビリティ――情報の受発信のし易さ――と、ユニバーサルデザイン――「障害」の有無に拘わらずに万人が利用出来る為のデザイン――について述べられている本だ。「障害」を持つ者――視覚障害者や聴覚障害者のような人々だけではなく、子供や老人も含まれる――がこの社会で生きる上でどのような障害があるのか、それにどのように対処しているのか。また、そういった「障害者」も生きやすい社会とする為には、どのような対応や対策を行えばいいのか、実際に行われているのかといった事がまとめられている。
2003年刊行とやや古い書籍ではあるが、それらは充分に興味深い内容だ。しかし、それ以上に私の興味を引いたのは、この本の中で提唱されている「一時的な障害」という概念である。
このようなことは高齢者や障害者に限っての問題なのであろうか。もし、あなたが眼鏡をかけているとして、突然レンズが割れたら、学校や職場に出向くのにも困るだろう。もし大教室でマイクが壊れたら、後ろの席の学生は先生の声が聞こえないかもしれない。あるいは、騒音下で携帯電話を使うことを考えて欲しい。どんなに声を上げても相手の声を聞くことができないのだ、このような人々のことを、一時的に障害を持つ人々と呼ぼう。
(画像は「The Bradley: A Timepiece Designed to Touch and See by Eone Timepieces — Kickstarter」より引用)
丁度、先日、「文字盤を見なくても時刻の分かる腕時計」が話題になっていた。
お客さんとランチをしていて、いま何時か、こっそり知りたいと思ったことはないだろうか。
部長の話が長く、アポイントの時間が迫っていそうで気が気ではない。でも、腕時計を見る勇気はない、そんな体験をしたことはないだろうか。
暗闇のなか、スマホのライトを点けずに、時間を知りたいと思ったことは?
件の腕時計は、視覚障害者が利用する事を主目的に開発されているが、それが結果として、視覚に障害を持たない「普通」の人にとっても便利な物となっている。「普通」の人も、「一時的な障害」として視覚に制限を負う事はよくあるのだ。
このような事は、何もこの腕時計だけのレアケースだという訳ではない。町に出て辺りを見回してみれば、同じようなケースは幾つも見つける事が出来る。例えば、重い荷物を運んでいる人が、エレベータを利用する事は何も不思議ではない。これは移動能力に一時的な障害を負った例だ。青の時のみ音を流す歩行者用信号機が在るが、つまりそれは、信号待ちをしている間中信号を注して居居る必要が無い、視覚に一時的な障害を負っても問題ないという事だ(信号が赤の間に地図を確認するとか)。
今まで、「障害者」というと、期間の永続的なハンデを負った人とばかり考えていた。しかし実態はそうではないのだ。誰しもが、日常的に、一時的に障害者となりうるし、実際になっているのである。もし、「ユニバーサルデザインなんて、ごく少数の障害者への対応だろ」と考えている「作り手」が居るのであれば、そいつは三流なのだろう。「ごく少数」なんてとんでもない、全ての人々に影響する事なのである。
- そいつは三流
- 誰の事だって? おまえのことだよ。