すごく興味深いのは、小中高どの学年でも、自分の回答が不正解だとわかった瞬間には狼狽またはがっかりした顔をしているのに、「そんな言い方誰も(略)」と言う瞬間にはものすごく人をバカにした口調になっていることです。つまり、この子たちは、一旦失われた自尊心を以下のようなプロセスで回復しているんだと思います。
- 間違えた、しまった!(←狼狽、またはがっかり)
- このままでは自分が無知なことになってしまう。やばい。
- でも自分の周りにこんな表現を使っている人はいない。
- 「みんな」と同じなんだから、きっと自分の方が正しいんだ。
- こんな表現を使うやつの方がおかしいんだ! おかしい奴を見下せ!(←ものすごく人をバカにした口調)
自分の無知を認める代わりに、「『みんな』と同じ自分が正しい」という主張でプライドを保とうとしているんでしょうね。
でも、よく考えたら、大人でもこういう人はたくさんいます。ことば遣いについてのみならず、人間の価値観や行動について、安易に「そんなこと誰も言わない/しないよ!」などと言い放ってふんぞり返っている人には要注意です。その人は、自分の無知を糊塗するために、必死になって「おかしい奴を見下せ」路線に軌道修正しているお子様なのかもしれません。あたし自身だってきっと、無意識のうちにそうなっている瞬間はたくさんあるに違いないと思います。「くだらんプライド維持のために『自分の周りの小集団こそ世界標準』と決め付けちゃうのは、『顔を割って話し合おう』とか書いちゃう小学生と同レベル」と常に認識できるようでありたい、と思っています。
あー、あるなぁ。『みんな』とか『普通は』とか言っちゃう事。そういう言葉がヤバイってのは理解しているので言わないように言わないようにと気をつけているんだけど、ついポロッと出てしまう事が。
気づいたときは、言いかけていた時ならそれ以上言わないように意識的に口を閉じるし、既に言ってしまっていた時は直ぐに『自分は』とかに言い直すが、気づかずにいる事も多いんだろうなぁ。
特に『自分にとって自信が有る事』に対してその傾向が顕著な気がする。『絶対に間違えたくない』っていう心理からだと思うが。
蛇足
ところで、元記事の顔を割って話し合おう
で寄生獣を想像した。うーん、グロイ。