先日、TwitterのAPI規約変更に反対する嘆願署名を翻訳した動機の話でも。
件のTwitterのAPI規約変更は沢山のTwitter利用者の反発を買っている。そして、(少なくとも現在、)Twitter社はその反発に答えようという気がないように見える。
勿論、TwitterはTwitter社の物だ。Twitter社が開発しTwitetr社が公開しTwitter社が保守している。究極的には、TwitterをどうしようがTwitter社の勝手、とも言える。
TwitterはTwitter社の提供する「プラットフォーム」なのだ。
プラットフォームとは何か。プラットフォームとは - IT用語辞典 Weblio辞書には次のように定義されている。
プラットフォームとは、コンピュータにおいて、ソフトウェアが動作するための土台(基盤)として機能する部分のことである。
プラットフォームとは、そもそも「壇上」や「(高い)足場」といった意味を持つ英語である。言及する対象によってプラットフォームが指し示す対象は異なる。例えば、アプリケーションソフトウェアにとってのプラットフォームといえば、オペレーティングシステム(OS)の種類や環境などを指す場合が多く、また、OSにとってのプラットフォームといえば、CPUをはじめとするハードウェアのアーキテクチャを指すことが多い。
例えばゲーム機をプラットフォームと呼ぶ例は身近だろう。
しかし、昨今、ネットワーク上においては、また違った意味で使われる事が多い。
以下、Business Media 誠:野島美保の“仮想世界”のビジネスデザイン:オープンプラットフォームとは何なのか――DeNA「モバゲータウン」の戦略 (1/3)より。
これまで“プラットフォーム”と言えば「情報端末や通信インフラを提供する企業」を指したが、クラウド※時代にはプラットフォームも「サービス業」となる。SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)がプラットフォームとなり、その上にゲームアプリが搭載されるソーシャルゲームは、その先駆け的事例である。SNSは自ら顧客を持つコミュニティサービスだが、その上にゲームアプリというコミュニティサービスがさらに載るという仕組みになっている。
Twitterはプラットフォームであり、その上でAPIを利用する各種ソフトウェアが存在する事になる。
各種ソフトウェアはTwitterの定めるところに則って提供されるし、Twitterの禁ずる事は出来ない(もしも行えばプラットフォームから閉め出される事になる)。
私は、今回のTwitterの規約変更に――いや、それ以前からの流れを含めて、Twitter社には大きな失望を感じている。しかしながら、Twitterの利用を止めるのは難しい。
何故か。Twitter上で交流している沢山の人々との繋がりの殆どを失う事になるからだ。件の嘆願書には「ネットワークはオープンでなければならない」という高潔な主張が織り込まれていた。それも勿論重要だが、白状しよう、私がTwitter社の案に反対する一番の動機は「自らのソーシャルネットワークを維持したい」という非常に卑近な物だ。
まさに、私自身がTwitterというプラットフォームに依存し、捕らわれているような状態だ。
そのもの自体は既に糞と化しているのに離れる事は難しい。
考えてみると、まるでこの国のようではないか。
してみると、国というモノも一種のプラットフォームなのかもしれない。
私は、日本というプラットフォームにも捕らわれている。
このプラットフォームから離れるのも難しい。親や親戚に関する問題、風習の問題、そして何より言語の問題が在るからだ。
私が嘆願書の英文を翻訳した動機。それは、Twitterに対しては勿論ながら、日本というプラットフォームに対する反抗心も含まれていた事を、白状しようと思う。
あの英文を、数日かけても尚、不完全にしか訳せなかった自分には、プラットフォームに反抗する力が決定的に足りないのかもしれない……
- それ以前からの流れ
- ネットワークはオープンでなければならない
WHY DOES THIS MATTER?
項の3つ目、3. If Twitter shuts down their APIs,(略)
の最後の方、The network should be open
の事。