2012年05月23日

「何故そういうきまりなのか」を疑問に思う冷静さを

23日午前8時ごろ、京都府亀岡市篠町篠上北裏の府道で、集団登校中の小学生ら10人の列に軽乗用車が後ろから突っ込んだ。市立安詳小2年の小谷真緒おだに・まおさん(7)と、子どもに付き添っていた松村幸姫まつむら・ゆきひさん(26)=いずれも亀岡市=が死亡、2人が重体、6人が重軽傷を負った。列の最後尾にいた松村さんは妊娠7カ月で、胎児も死亡した。

府警は自動車運転過失傷害の疑いで、無免許で車を運転していた亀岡市の自称無職の少年(18)を現行犯逮捕した。府警は同致死傷容疑に切り替えて調べる方針。府警によると、少年は「居眠りをしていた」との趣旨の供述をしている。

府警は、無免許と知りながら運転させた道交法違反(無免許運転)ほう助の疑いで、同乗していた京都府南丹市の大学1年生(18)と、亀岡市の専門学校生(18)の2人も逮捕。少年らの話によると、一晩中、車で走っていた。ブレーキ痕はなかった。

……と、18歳少年の居眠りか 京都府亀岡の児童ら死傷事故 - 中国新聞で報じられている例の亀岡で小学生の集団に自動車が突っ込んだ事件の話。数年後この記事を見た時にも分かるよう、そこそこの詳細さを持っていたこの記事を引用したが、小3女児も死亡 集団登校事故、死者3人に - MSN産経ニュースに拠ると、29日に小3女児が死亡し、結果的に死者数は3人となっている。

まだ記憶に生々しい京都府亀岡市で起きた小学生ら10人が死傷した事故で、無免許、居眠り運転をしていた少年(18)が14日(2012年5月)、自動車運転過失致死傷(最高は懲役7年)と道交法違反(無免許)で京都家裁に送致された。

検察側は遺族の感情を踏まえ、量刑の重い危険運転致死傷罪(最高が懲役20年)の適用も検討したが、少年が無免許ながらも運転を繰り返していたことから、同罪の成立要件の一つである「運転技能を持たないで走行」と見なすのは難しいと判断したという。納得できない遺族は「なぜ検察は危険運転致死死傷で闘ってくれないのか」と不満が爆発させている。

加害者たちは無免許で居眠り運転をしていた未成年である、にも拘わらず、危険運転致死傷害罪に問えないという、一見、一般的な価値観では理解しがたい状況となっている。

これにコメンテーターの清水宏保(スピードスケート金メダリスト)は「何のための免許制度なのか。(検察は)感情がなさ過ぎる」と批判し、舘野晴彦(月刊ゲーテ編集長)も「絶対おかしいですよ。勝手に無免許運転していて、技術があるから軽くするというのでは、免許を取らなくていいことになる」と矛盾を突いた。

……と、亀岡「10人死傷少年」軽い運転過失で送致―遺族納得できない(J-CASTテレビウォッチ) - livedoor ニュースには記されており、また、それはそこそこ一般的な「義憤」でもあるらしく、Twitterで"亀岡 無免許 危険運転で検索してみても、同様の意見を幾つも見かける。

以下に幾つか引用する。

この疑問に対する答えが、亀岡「10人死傷少年」軽い運転過失で送致―遺族納得できない(J-CASTテレビウォッチ) - livedoor ニュースにて解説されている。

「法律の書き方が『進行を制御する能力がない未熟な運転』と規定されていて、無免許と書いてあるわけではないんです。法律はあらゆる場合を想定して、要件がそろえば適応する。(無免許が未熟で危険運転となれば)免許更新を忘れても無免許になり、その場合も適用していいかとなってしまう

これが知りたかった。

感情的に、一見おかしな「きまり」に反発するのは簡単だ。何せ「おかしく」見える訳だから、それを批判する事は正義のように思える。

しかし、現実はそう簡単ではない。

上記引用にある通り、「きまり」という物はあらゆる場合を想定して作るのが理想だろう。だが、それは現実的には難しく、実際に作られた物は『次善』の物となる。

「最善には出来ない」という前提に立つのならば、より安全な方に重きを置いた物になるのは自然だろう。絡み取るべき事象を取りこぼしうるという事は、逆に、取りこぼすべき事象を絡み取ってしまう可能性の存在を意味する。「疑わしきは罰せず」「推定無罪」はその良い例だ。犯罪者を逃す可能性は有るが、これがあるから冤罪を防ぐ事も出来る。

無免許での運転を妥当と思われる法で裁けない、というのにも、それ相当の理由があるのだ。成る程免許更新を忘れた場合の運転を「危険運転」と見なすのが妥当か?と聞かれると、妥当とは思えない。一度免許を交付されているという事は、運転の技能があると認定されているという事だからだ。

以前何処かで「一見不要に思われる柵(物・事)でも簡単に取り除いてはならない。その柵が設置された理由というのが必ず何か在る筈で、それを無視して取り除いてしまうと、想定外の問題に突き当たる可能性が有る」という趣旨の文章を読んだ事がある。今回のケースは正にその「柵」に当たるケースだろう。

「理不尽」に対して感情的に怒る事は簡単だ。だが、その「『理不尽』が態々設けられているのは何故か?何かそうせざるを得ない理由があるのではないか?」と頭を冷やして考える冷静さが必要なのではないだろうか。

文章
web上の文章だった事は確かなのだが、何処だったかは失念してしまった。心当たりのある方は教えて欲しい。

念の為に断っておくが、
今回はあくまで『無免許』の部分にのみフォーカスを当てている。また、過度な加害者達の擁護を目的としている訳でもない。

ラベル:Information law literacy
posted by 天井冴太 at 00:30| Comment(0) | TrackBack(1) | 日々雑感 | 更新情報をチェックする
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