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米Twitterは26日、特定の国の状況によっては、検閲を行う意向であることを公式ブログで発表した。
非常に難しい問題だと思う。
この件について考える時、私たちTwitter利用者は、そして世界中の人々は次の事を忘れてはならないのではないか。
- この世界には、検閲が行われる国が在るという事実
- 企業はその活動において、活動の舞台となる国の法に縛られるという事実
これらは、人々がそれを好む好まずに拘わらず存在する。それは紛う事なき事実だ。
『検閲はけしからん!』という思いは分かる――むしろ同意出来る――が、だからといって、この事実から目を背けてもしょうがないのである。
こうした動きに対してネット上では反発が起こり、一部のユーザーが「#twitterblackout」というハッシュタグを用いて、24時間ツイートを投稿しない運動が展開された。
仮に、Twitterが『検閲』を取りやめた場合どうなるだろう?
簡単な話だ。検閲を行う国々は、先ず間違いなく、その国内からのTwitterへのアクセスを全面カットするだろう。
するとどうなるか? その国の人達がtweetする自由を、完全に奪い去ってしまう事にならないだろうか。
自由を追求する動きが、逆に自由をより強く制限するという、何とも皮肉な結果を招いてしまうのではないか。
検閲をしようという側が取り除きたいtweetは何か?それは例えば、「(ある国の指導者)はクソッタレだ!」「○月○日、○○でデモを行おう!」といった内容であって、「今日の朝は目玉焼きを食べた」だの「猫可愛い」だのでは無いだろう。
そういったtweetをする自由さえも奪ってしまうのは果たして妥当だろうか?
繰り返しになるが、私や貴方がどう思おうと、検閲という物は存在する。それは動かしようもない事実である。
Twitter社の、Chilling Effectsで検閲の要求を公開するという方針や、アカウントに関する情報提出要求を公表した姿勢から、権力機関からの要求に唯々諾々と従う事を良しとしていないのも分かる。
検閲という規制と、自由と。完全な規制と、不完全な規制と。その丁度良くバランスを取れる方法を、Twitter社は上手く選び取ろうとしているのだ。