2004年04月17日

スポーツを見るという事 (『鳥人計画』を読んで)

注意: 以下の文章では、小説中の事件の動機に深く関係している部分に触れています。。未読の方は先に小説を読んでから以下の文を読まれる事をお勧めします。何しろ推理小説ですから……

スポーツに生きる人間は、勝つことだけを要求される。見る側にしても、非人間的な強さを求めている。ソウル・オリンピックでベン・ジョンソンはドーピングをしていたとして金メダルを剥奪され、世間の非難を浴びましたね。しかしその非難も、勝手な建前主義から出ているにすぎないのです。大部分の人間は、内心なぜ検査に引っ掛かるようなミスをしたのかと歯ぎしりしている。(略)あの時選手の中にも彼を非難する声は多かったが、『ベンはドジな男だ』というのが本音でしょうね。あるいは、『そんなに効果があるものなら、自分も試してみたい』というところかな。

この世界では非人間的な方法を使ってでも勝てば評価されるのですよ。カルガリでジャンプ陣が、ソウルで柔道陣が惨敗したときの世間の声を覚えていますか。今はもう誰も、参加することに意義があるなどといってはくれません。国家予算を使っていく以上は、どんなことをしてでもメダルをもぎとってこい、ただしバレるな――これが世間の本音なんですよ。

以上の文章は、全て、鳥人計画(東野圭吾著 角川文庫)からの引用です。(『鳥人計画』のあらすじは省略します)作中で、ある人物が自分の行った事に眉をひそめた人物に対して言った言葉です。
……皆さんは、どう感じますか?

上記の意見に対し、幾らかの嫌悪感を持った、と云うのがほとんどの人の意見ではないでしょうか。しかし、いざ、オリンピックでも始まろうものならば、「日本はメダルいくつ取れるか?」「○○や××は、1等になれるか?」「記録は?」「世界新は?」と云う事にコダワル人がほとんどでしょう。(私も、その一人です。)
少し、考えてしまいます。

特に、今年はオリンピック・イヤーです。『原点回帰』をテーマとして、会場は再びアテネとなりました。我々応援する側も、ただ『勝つ』事だけを求めるのではなく、メダルの数だけを求めるのではなく、他のモノを評価する努力もしたいものです。

posted by 天井冴太 at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書的つれづれ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック