2014年01月13日

2ch出の「企業が名前を採用不採用の判断に用いる際の基準」についてちょっと調べた話

Tumblr経由で以下の内容を知った。確かに、「企業は応募者の名前を採用不採用の基準に用いている」という話は聞いた事がある。しかし、具体的な指針が書かれた物は初めて見た。そうすると、気になるのはこの基準の妥当性だ。簡単にだが調べてみた。簡単に調べただけなので、もしかしたら誤りがあるかも知れない。もし在ったら指摘して頂きたい。

とりあえず、人事担当から一言。

説明会エントリーや履歴書のチェック上でいえることですが、 名前も実はチェック項目に入ります。正確には人数を絞るときの指標の一つです。

  • 女子の「子」の字で終わる名前は印象的にプラス
  • 男子の暴走族系の漢字はマイナス
    これは人気の漢字でも関係ない(たとえば「翔」と「斗」)
  • 無理な当て字はマイナス(「月」を「るな」とか)
  • 日本人なのに外国名の当て字はマイナス(トム→「十夢」とか)

名前は育ちを見ることができる指標なので、多少難しい程度ならまだしも、
親の無教養をあらわすような名前なら結構厳しいですね。

生贄をあらわす「羊偏」の漢字や 、「魁」などの本来の意味が下品なもの、
学生運動を思わせる「闘」の当て字としての「斗」とかは
(本来の「斗」の字は「小さくつまらないもの」という意味です)、
人気のある漢字のようですが、 機械的に却下されてもおかしくはありません。

景気がいいときはこんなことする必要ありませんが、
今は定員40名の説明会に2300人超応募してくるような状況です。

説明会でも書類選考でがんがん落とさざるを得ない状況ですし、
中身をこまかく見たりする前に、
名前でも落とす作業があるのが現実です。

以上、「最近のDQNネームクッソワロタwww【働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww】」より。

女性の「子」で終わる名前について

割と歴史が古く、性別を問わなければ、中国の春秋・戦国時代、日本では飛鳥時代頃まで遡れるようだ。女性の名前としては平安時代、皇女への命名法で「子」を付けるよう定められたとか。天皇家(や、その周囲)が使用しているという事が普及の原因となったという説はそれなりに説得力を持つように思われる。

ただ、何故「子」が付く名だとプラスの評価になるのかはよく分からなかった。「プラスにもマイナスにもならない」なら兎も角。

参考文献

「羊編」の漢字は「生贄を表す」という事は無い

手元に在った大修館書店の「新版 漢語林」で羊編の漢字を調べると、大体以下の2つの意味を持つ字に分けられる。

  • 羊、或いはそれに似た動物を指す
  • 羊の性質を表す

例えば、前者は「羝」(「雄の羊」の意)や「羚」(同「かもしか」、「かもしし」)、後者は「羶」(同「羊の臭い」、「生臭い」)がそれにあたる。しかし、「羊」自体を含め、「生贄」の意味を持つ字は見あたらなかった。勿論、「この辞書に載っていない羊編の字」に「生贄」を意味する字が在る可能性は捨てきれないが、仮にそうだとしても「『羊編』の字は『生贄』の意味だ」というのは誤りだといえる。

「魁」の字の意味が下品な物だという事もない

同辞書の「魁」の字義欄を見ると、以下の物が列挙されている。

  • さきがけ、まっさき、第一
  • かしら(一族の長や首領の意としての)
  • 大きい、大きいもの、堂々としている、優れる、優れたもの
  • 安らかな様
  • ほこる
  • おさめる
  • (以下略)

特に下品な意味は無く、むしろ、人名として使いたくなるような意味を持つ字であるように思える。

「翔」を避ける事の妥当性について

これは個人的な感想になるが、少なくとも「翔」の字を「暴走族系」という、割とふわっとしたイメージに拠る分類分けでマイナス評価するのは疑問である。

「翔」の字自体は「鳥が空高くを飛ぶ」といった意を持ち、子の大成を願う親が名付けに用いるのはそれ程不自然とは思えない。

暴走族は大体バイクに乗っているが、じゃあバイクに乗っている人間全てが暴走族かというとそうではない。むしろ、バイク乗りの中の「暴走族」の占める割合は極少ないのではないか。

(もっとも、「翔」には「さまよう」という意味も含まれているようなので、「暴走族系」等という定義のハッキリしない理由ではなく、字義上の理由から避けるというのであれば、理解出来る。)

名前で人物を判断する事について

採用の場において、応募者の振るい分けに名前を使うのが妥当なのかどうか。統計的な妥当性が気になる所である。とはいえ、「奇を衒ったような名前である→親が無教養である→故にその人物が真っ当な教育を受けてきたか疑問である」という予測/予想がそれ程突飛だとは思えないし、選考のコストを考えると、そういった事で篩にかけたいというのも理解出来る。企業の目的は希望者の選考と採用ではなく、採用した人材で価値を創出しその対価を得る事なので、それにばかりコストをかける訳にも行かないのだから。

しかし、(件の基準が実際に用いられているとして、)その選考が誤った認識に基づいているとしたら如何な物か。奇抜な名の人物を、或いはそれを付けた親の「程度」を量るのは結構だが、その計量法自体が誤っていたのでは、「程度」が知れるのは企業の方であろう。「羊編」や「魁」のような、ちょっと調べれば誤りだと分かる内容であれば、尚更。

posted by 天井冴太 at 02:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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